テレビなどで一度は見たことがある気がする「人魚のミイラ」。けれど、あれが結局何だったのか、どう決着がついたのかまでは思い出せない―そんな方も多いはずです。この記事では、人魚は実在したのかという謎、人魚のミイラの真偽や言い伝え、正体の考察とあわせて調査していきます。
人魚は実在した?日本各地に残る目撃記録
人魚が実在した痕跡を探るうえで、まず注目したいのが日本の古い文献です。西洋のマーメイド像が広まる遥か昔から、この国には人魚の記録が繰り返し登場しています。
日本書紀に記された「人のような魚」|最古の記録
日本最古の記録は、飛鳥時代の『日本書紀』にあります。推古天皇27年(619年)、近江国の蒲生河に「その形、人の如し」と記される不思議な生き物が現れました。川での出来事だったことからオオサンショウウオ説も囁かれますが、確かなことは分かっていません。
鎌倉時代の漁師が捕獲?『古今著聞集』の人魚は美味だった
鎌倉時代の説話集『古今著聞集』には、伊勢国の漁師の網に人魚がかかった話が伝わっています。猿に似た顔を持ち、人が近づくと涙を流したとされる描写は、なんとも生々しいものです。しかも漁師たちはそれを食べてしまい、「たいへん美味であった」という話まで伝えられています。
目撃の記録は、その後も途切れませんでした。江戸時代の随筆『諸国里人談』にある、人魚を殺した後に海鳴りや大地震が続いたという若狭の祟り話は、その代表としてよく紹介されます。祟りまで恐れられたのは、人魚が実際にいるものと真剣に受け止められていた証です。
人魚の言い伝えを調査|食べれば不老長寿、骨は薬に
日本の人魚の言い伝えは、単なる目撃談にとどまりません。「肉を食べる」「骨を薬にする」といった、驚くほど暮らしに密着した形で語り継がれてきました。
八百比丘尼|人魚の肉を食べて800年生きた娘の伝説
最も有名な言い伝えが、福井県の若狭を中心に全国28都県へ広がる「八百比丘尼(やおびくに)」の伝説です。父が持ち帰った人魚の肉をうっかり食べてしまった娘が、十代の姿のまま800年を生きたと語られています。尼となって各地を旅した彼女は、家族や友人が先に亡くなっていく孤独を背負い続けました。
この伝説は、単なる昔話では終わりません。室町時代の公卿・中原康富の日記『康富記』には、1449年ごろ若狭から京都へ高齢の尼が現れたという記事があり、後に八百比丘尼伝説と重ねて語られてきました。人魚が実在する証拠とまでは言えなくても、こうした記録が残されてきたこと自体に、独特の説得力があります。
江戸時代には「人魚の骨」が高値で取引されていた
江戸時代には「人魚の骨」が、実際に薬として扱われていました。貝原益軒の『大和本草』は骨に下血を止める効能があると記し、『和漢三才図会』はオランダで解毒薬にされていると紹介しています。江戸後期の国学者・平田篤胤も、仲間と長寿を願って骨を削り、水に浸して飲んだと書き残しました。
もっとも、本物の正体はジュゴンの骨だったと考えられています。貴重で高価だったため偽物も出回り、本草学者の小野蘭山が見分け方を説いたとも伝わります。それほどまでに求められた事実こそ、人々が人魚の実在を信じていた証でしょう。
西洋のマーメイドと日本の人魚|言い伝えのイメージの違い
西洋のマーメイドといえば、歌声で船乗りを惑わすと語られたセイレーンや、アンデルセンの人魚姫のような美しい乙女を思い浮かべる方が多いはずです。一方、日本の人魚は猿に似た顔の妖怪であったり、疫病や天変地異を予言する神聖な存在であったりと、どこか不気味で近寄りがたい姿で伝えられてきました。同じ「半人半魚」でも、言い伝えの表情は東西でまったく異なるのです。
人魚のミイラは本物?寺に今も残る「実物」
さて、いよいよ「あのミイラ」の話です。実物は和歌山県の学文路苅萱堂や福岡市の龍宮寺、静岡県の天照教社など、今も各地の寺社で大切に守られています。そのひとつに科学のメスが入り、真偽が確かめられました。
岡山・円珠院のミイラをCT調査|わかったこと、わからないこと
岡山県浅口市の円珠院に伝わるミイラは、全長約30センチで、頭を抱えて叫ぶような通称「ムンク型」のポーズをとっています。サルを思わせる頭部には毛髪や眉があり、平爪を持つ5本指の手、うろこと尾びれのある下半身と、細部まで生き物めいた姿です。このミイラが2022年から翌年にかけて、初の本格的な科学調査を受けました。
CTスキャンなどの結果、内部に骨格はなく、布や綿の詰め物を和紙で包み、表面にフグの皮を貼った1800年代後半の造形と判明します。下半身にはニベ科の魚の皮が、口には肉食魚の歯が使われていました。ただし書き付けには「元文年間に土佐沖の漁網にかかった」との来歴が記されており、伝承と調査結果の間には今も埋まらない溝があります。
世界を騒がせた「フィジーの人魚」は日本から渡った
19世紀のアメリカで大騒動を巻き起こした「フィジーの人魚」も、実は日本から渡った細工物と考えられています。1842年に興行師P・T・バーナムがニューヨークで公開すると、真偽をめぐって世界的な論争に発展しました。江戸から明治にかけての日本は、知られざる「人魚のミイラ輸出国」だったわけです。
すべて解明された?未調査のミイラと精巧すぎる細工
では、すべての人魚のミイラを偽物と言い切れるのでしょうか。科学の答えが出たのは調査を受けた円珠院のミイラなどごく一部で、各地には構造や製法の解明が進んでいない個体も残されています。製法が「門外不出の秘伝」とされた地域もあり、その技術の全貌は今も謎のままです。
つまり「あれは何だったのか」への答えは、「調べられたものは工作品だった」というところで止まっています。調べられていないものは、まだこの国のどこかに眠っているのです。
人魚の正体は?候補とされる動物たち
それでは、目撃された人魚の正体は何だったのでしょうか。有力とされるのは、実在する海の生き物を見間違えたという説です。
ジュゴン・リュウグウノツカイ|それでも説明できない記録
前肢で子を抱いて乳を与えるジュゴンやマナティーは、遠目には人の母子のように見えたといわれています。赤い背びれをなびかせる深海魚リュウグウノツカイも、長い髪の女性を思わせる姿から候補に挙げられてきました。アザラシやシロイルカの見間違い説もあります。
とはいえ、猿に似た顔や涙を流したという描写までは、これらの動物だけでは説明がつきません。その姿を説明できる生き物は、実はまだ見つかっていないだけなのかもしれません。
まとめ
テレビで見たあのミイラの正体は、19世紀ごろに作られた精巧な工作品―それが現代科学の答えでした。ただし調査が及んだのはごく一部で、詳しく調べられていない個体も残されています。そして千年以上も目撃談が絶えず、骨が薬として求められ、ミイラが信仰の対象として守られてきた事実は、紛れもなく実在しています。
人魚が実在した証拠は見つかっていなくても、それは、いないことの証明ではありません。次に海を眺めるとき、波間にきらりと光るものを見つけたら―それは、まだ名前のついていない何かかもしれません。










